読書感想文:『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』小説版の美点と漫画版の問題点

※ネタバレに全く配慮していません。『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』小説版(なろう版第1部~第5部/商業小説版第1巻~第6巻)および漫画版の展開や結末への言及が大量にあります。

 

小説投稿サイト「小説家になろう」に『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』(永瀬さらさ、本編2017-2019)という作品があって、2022年10月にアニメ化されるらしいんですが、なろう小説のアニメ化ってコミカライズ版をベースにすることが多いじゃないですか。「小説家になろう」掲載作品って読者との準リアルタイムのコールアンドレスポンス重視みたいなところがあるらしくて、まとまったものを後から読み直すとなんだかよくわからないものになっていることがままあり、しかも何でか知らないですけど商業小説として出版される際もたいした修正がかからないものだから(これはさすがに編集者がさぼりすぎだと思うんですけども)、コミカライズで色々脚色されたり整理されたりすることで初めて普通の作品として成立する、という例を実際に見たこともあるので*1、アニメが原作ではなくコミカライズ版をベースにすること自体は、それはまあ当然そうだろう、と思います。ただですね、『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』の場合、コミカライズ版をベースにしてしまうと、ちょっと作品の品質に問題が出るような気がしてならないんですよね。

コミカライズ版『悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました』(原作永瀬さらさ・作画柚アンコ 2018-2019)は、ある乙女ゲームのプレイヤーだった主人公がそのゲームの悪役令嬢に転生憑依し、自分を待ち受ける破滅を回避するべく奮闘するという「悪役令嬢物」ジャンルの典型例と言ってよいだろう作品で、原作小説第1部*2をベースにしています。悪役令嬢アイリーンが第二皇子セドリックと婚約関係にあったところ、ゲームのヒロインであるリリアと恋仲になったセドリックがアイリーンに対して婚約解消を宣告する、その瞬間に主人公がアイリーンに転生憑依するところから話が始まり、色々あった後にアイリーンは第一皇子クロードと婚約、また皇位継承権を失っていたクロードがそれを取り戻して王宮に帰還することで終わりを迎えます。本作は悪役令嬢物の中でも「ヒロインが性悪」パターンの作品で、ゲームのヒロインであるリリアは主人公たる悪役令嬢アイリーンに対して大きな障害として立ちはだかり、大小諸々の嫌がらせを実施し、遂には第二皇子セドリックをそそのかしてセドリックにアイリーンを強姦させようとし、第一皇子クロードを殺そうとします*3

以上の骨子はコミカライズ版・小説版第1部に共通ですが、大きく異なるのがリリアの設定です。小説版第1部では、ゲームのヒロインであるリリアがなぜ性悪であるのかについての説明は一切ありませんが、漫画版では中盤にさしかかったあたりで、リリアも主人公と同様に転生憑依者であることが示されます。リリアはゲーム世界の中においてもあくまでもプレイヤーとして振る舞い、ゲーム世界内の登場人物に対して人格を認めず、ゲームを攻略しようとする態度で生に臨みます。性悪というか、他の人物を自分と対等な存在だと全く思っていないわけですね。漫画ではアイリーンとリリアが対比的に描かれ、最終的には、ゲーム内存在として他のゲーム内世界の登場人物と対等に共に生きようとするアイリーンがリリアに勝利し、このゲーム世界の「主人公」となることが示されます。

それの何が悪いの、っていうか、小説版第1部は話として致命的な破綻があるじゃん、というのはもっともな疑問で、小説版第1部と漫画版とを単品で比較する限りにおいては明らかに漫画版のほうがきちんとした作品だと言えるんですが、問題はですね、小説版の正伝全5部を通して読むことではっきりと、暗示や示唆ではなく誰の目にも明らかであるような形で描写されるのは、アイリーンとリリアがそういう対比されるような存在ではなく、むしろ同質の存在だってことなんです。

小説版の(転生憑依後の*4)リリアも、「ゲーム世界の中においてもあくまでもプレイヤーとして振る舞い、ゲーム世界内の登場人物に対して人格を認めず、ゲームを攻略しようとする態度で生に臨む」点においては漫画版と同様ですが、なろう版のリリアがゲーム世界内の登場人物に対して人格を認めないのは登場人物が既プレイのゲームと同じことしか口にしない書き割り同然の存在だからであり、ゲームを攻略しようとする態度で生に臨むのは、このゲームをより良く鑑賞するため、とりわけこれまで見たことがないようなゲームの展開を引き出すためです。従って、漫画版におけるリリアの「ゲームを攻略しようとする態度で生に臨む」その態度が現世利益の追求と区別できないものでしかないのに対し、小説版の(転生憑依後の)リリアは現世利益という点ではほぼ無私と言ってよく、自らの生死にもさほど頓着しません。そしてこのリリアが最も愛する人物は当然アイリーンなのですし、

 アイリーンを好きなのかと言い出したリリアに、最初は自分も何か不安にさせてしまったのかと思った。だから何を言い出すんだリリア――そう、不安を取り除いてやろうとした。
 なのにリリアはがっかりした顔をした。
 つまらない男とでも言いたげな目でセドリックを見たあとで、そうよねと嘲笑った。
 ――女の言いなりになるだけの男は、いずれ飽きられる。
 (セドリックの独白。「小説家になろう」版第3部冒頭「ヒーローの攻略法」より引用)

このように自分が書き割りに等しい存在であることに疑問をおぼえ、そこから脱しようとする人物(それは往々にして、リリアへの反抗という形で示されます)に対しては、リリアは漏れなく祝福を与えます。

アイリーンは、小説版正伝全5部においてほぼ常に、ゲームの悪役としてラベリングされた登場人物たちに対し、かれらがゲーム世界内の現実においてどのような問題や願いを抱えているかを(プレイヤーとしての知識をもとに)考え、自らも同じゲーム世界を生きる存在として共に歩くことでかれらを救済していく存在であり続けますが、正伝の後半ではこれと平行して、ゲーム(のシリーズ続編)のヒロインとしてラベリングされた登場人物たちが自我を獲得する過程、そしてそれを祝福するリリアが描かれます。アイリーンは(亜神の力を持ちつつも)人の立場から、リリアは亜神の立場から、同じことをして回っているのだということが、第4部後半と第5部後半の二度にわたってアイリーンとリリアが共闘することによって示されます。

ところで、乙女ゲーム世界への干渉のありかたとして、読者にとって興味深いのは、アイリーンよりもリリアによる干渉のほうです。リリアによる主な干渉の対象であるヒロイン達を束縛するのは無論、乙女ゲームにおけるヒロインとしての行動規範であるわけですが、アイリーンから繰り返し「絵と声は良いがシナリオが雑」と批判されるこの乙女ゲームの世界では、その規範とは例えば男性を立てて一歩下がるような振る舞いであり、あるいは社会のために自己犠牲精神を発揮して(文字通り)死ぬことです。そのような規範を拒絶するのは、ヒロインであるという立場を拒絶することに他ならないため、

 「――嫌よ、できない!!」
 思わぬ声と、神剣が転がる音に、まばたいた。サーラだ。
 神剣を投げ捨て、首を振りながらうしろにさがるサーラに、アレスも驚いた顔をしている。
 「ど、どうしたサーラ。できないとは」
 「い、嫌よ、死ぬなんて」
 「死ぬ?」
 「そうよ! ――神剣を直したら、私、死ぬんでしょう!?」
 (乙女ゲーム第3作のヒロインであるサーラが自己犠牲を拒絶するシーン。「小説家になろう」版第4部38節より引用)

上記のようにゲームの美的な完成度を損なうものであるのかもしれず、周囲の社会やら登場人物に対して様々な迷惑を振りまくものでもあるわけですが、それだからこそ、これによって初めてヒロインは自我を獲得し、リリアの祝福を受ける資格を得るわけです。もちろんこれは、この乙女ゲームが……というかゲーム一般が……現実から無自覚に前提として引き継いでいる価値観が歪んでいて特定の属性を持つ人々(本作の場合はつまり女性ですね)へ犠牲を強いるのを当然視するものであることを告発しているものと読むべきでしょう。

小説版正伝全5部は、この構造を入れ込むために結構な無理をしているという理由もあって、そこかしこで破綻、とりわけ人間関係の連続性の破綻が起きています。前述のように転生憑依前のリリアが何であるのかという都合の悪い疑問に対してろくに回答が示されません*5し、他にもたとえば第二皇子セドリックは前述のように第1部で第一皇子クロードを殺害するためにアイリーンを強姦しようとしたにもかかわらず、第3部では平然とその第一皇子と馴れ合っています*6。しかしこれは、「小説家になろう」のような、完成度の追求という点では非常に過酷な環境の下、難度の高い(かつ、取り組む意義のある)課題を設定したがための破綻として(ある程度までは)擁護されるべきものであり、逆にこのような面倒な課題が設定される可能性を潰して完成度を取った漫画版の選択には素直にはうなづけません。

小説版においてゲームのプレイヤーがリリアに転生憑依するのは第2部の冒頭(「小説家になろう」2017年8月10日投稿)ですが、この第2部時点でのリリアは、第2部を通して描かれる事件を影で操る黒幕ですが、黒幕であることが示されるのみで、描写はほとんどありません。小説版におけるリリアの在り方が決定されるのは引用でも示した第3部冒頭(2018年4月5日投稿)で、一方で漫画版の連載開始はコンプエース誌2018年8月号なので、漫画版の企画時には単純にリリアのキャラクターが定まっていなかったという可能性も十分に考えられ、その意味で「漫画版は原作の解釈を間違えている」みたいなことを言うのはあんまりフェアではないのも確かなんですが、とはいえ、なろう版は(転生憑依後の)リリアのキャラクターに美点が集約されていると言ってもよいくらいの作品なので、やっぱり勿体ないよなあ、と思うわけです。

# っていうか、アニメ版を漫画版ベースの解釈で作っちゃったら、もしアニメが当たったときに続編作れないですよね?

*1:具体的に言うと『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった……』(原作山口悟、作画ひだかなみ、2017-)とかですね

*2:商業小説版第1巻相当。なろう連載2017年5月12日~6月18日、商業小説版2017年9月発売。なろう版正伝全5部と商業小説版第1巻~第6巻は大筋において差異はないので、以降は小説版と書いた場合はなろう版を指すことにします

*3:子細は省きますが、第二皇子セドリックが主人公を傷物にすると第一皇子クロードが激昂して魔物になるので、ヒロインのリリアは魔物になった第一皇子を殺すことができるようになるんです

*4:小説版第1部の段階では、リリアはまだ転生憑依しておらず、単なるリリアというキャラクターです

*5:このことは別種の問題も引き起こしています。リリアが亜神として行うべきことを概ね行い終えた正伝最終第5部後半の主題のひとつは、亜神ではない人としての、つまりプレイヤーではなくこの世界のキャラクターとしてのリリアはどう生きるのか、というものですが、人としてのリリアの因縁についてはそれまでに何も触れられていないため、第5部で亜神リリアが死んだ後に人として生き直すために復活すること自体は良いとしても、直接の死因と言ってよいだろう人としての因縁については、なんかあいつえらい怒ってるけど、くらいの困惑しか感想として持てなくなっています。

*6:本編とファンディスクで人間関係の差異があるのは良くあることではあるでしょうから、商業小説としてリパッケージする際に最低限そういうエクスキューズを入れてごまかすくらいはできたはずだと思いますが、そういうこともしていません

松浦嘉一「あとがき」(アリストテレス『詩学』)

アリストテレス詩学』(松浦嘉一訳/岩波文庫1949年刊)pp.265-266.

【松浦嘉一 (1891-1967) 死亡後50年経過につき2018年1月より本国(日本)においてパブリックドメイン。】

【文字起こしに関する何らの権利も主張しませんので、ご自由にご利用ください】

 

新字体に変換。常用+人名用の範囲に含まれない漢字等については、変換またはルビ振りをおこなった(変換したものについては編注を入れてある)。

 

■■ あとがき ■■

 本訳書は大正十三年に岩波書店から哲学古典叢書の一つとして刊行された「アリストテレス詩学」を補修したものである。当時、その訳書が出るや否や、波多野精一先生はそれに子細に目を通しながら、約一ヶ月の間、殆んど毎日、時には一日に二通も、いつも重い封書で、いろいろと教示、鞭撻《べんたつ》、賞賛の言葉を訳者に寄せられた。私は先生が学問に対して持たれる真摯と情熱とに触れて大いに感激した。私は、取敢へず、旧訳書に補正を十頁ほどつけたが、「詩学」の解釈には必読すべきものと先生から教へられたウィラモウィツの「ギリシャ悲劇序論」や、そしてまた、当時私が持つてゐなかつたが其後手に入れたベルナイスやマルゴリウスの書にも十分に目を届かせて、旧訳書を改めたいと念じながらも、他事に紛れて遂に二十数年を送つて了つた。その間、なんとなく、自分のなすべき責務を怠つてゐるやうな思ひが無いわけではなかつた。しかし、ギリシャ語だけはキープしようと「オデュセイア」の邦訳をしたりして道草を食つてゐた。けれども、ウィラモウィツとかベルナイスを落ついて精読することは、どうしても他の仕事の忙しさに妨げられて来た。しかし、終戦後漸くそれらをゆつくり見る機会を与へられ、多年の宿願の補修をなすことが出来た。新しいこの訳書に於いては、「アリストテレス詩学」に関する、私の知る限りに於いて、世界の主もなる研究書に見出される、重要な諸解釈、本文の読方の諸家の異同も主もな点を漏れなく、一々原書に触れて記録することが出来た。このやうな少々うるさい記録は、文庫版としては少々重も苦しくて荷が勝ち過ぎるとは思ふが、外国書の入らない今日、さう不必要なことでもあるまいと信じて敢てそれらを本訳書に載せた。だから、小冊ながら本書には「詩学」に関して知るべき殆んど一切の知識が盛られてゐる。言ふまでもなく私の本訳書のねらひ所は、只、正確な訳出と右のやうな記録とに存することを附記して置く。

 

 

【編注】

旧字体新字体の変換のほか、常用+人名用の範囲に含まれない漢字等を、以下のように変換またはルビ振りした:

・賞讃→賞賛
・洩れ→漏れ
・逍〻→少々

 

松浦嘉一「緒論」(「アリストテレス『詩学』)

アリストテレス詩学』松浦嘉一訳/岩波文庫1949年刊、pp.5-54.

 

【松浦嘉一 (1891-1967) 死亡後50年経過につき2018年1月より本国(日本)においてパブリックドメイン。】

【文字起こしに関する何らの権利も主張しませんので、ご自由にご利用ください】

 

※文中、頁番号参照は章参照に改めた。

新字体に変換。常用+人名用の範囲に含まれない漢字等については、変換またはルビ振りをおこなった(変換したものについては編注を入れてある)。

 

 

■■ 緒論 ■■

 

■「詩學」とその歷史に就いて

 今日吾吾が有するアリストテレスの「詩学」は此偉大な哲学者がアテーナイの東郊リュケイオンの園で当代の学徒に講義した詩学の要綱だけを書き写した彼自身の覚書、若くは、聴講生の一人が取つたノートを再現したものであると言はれてゐる。
 アリストテレスは、三大悲劇詩人の最初の人アイスキュロスの死後約七十年程、最後の人エウリピデスの死後約二十年程に、生れてゐる。それ故、彼の時代から言へば、ペリクレスが作つたアテーナイの、同時に、悲劇の黄金時代は前世紀の昔のことであつた。アイスキュロスソフォクレスエウリピデスの悲劇は、当時においては既に古典であつた。さうして、之等の三大悲劇詩人に続く程の劇作家も出なかつた。喜劇、叙事詩に就いても同じ事が言へる。アリストファネスも既に過去の人であり、ホメロスに続くやうな叙事詩ペリクレス時代にも生れなかつた。アリストテレスの「詩学」は前世紀の赫赫《かくかく》たるアテーナイの文化の鬱勃たる精力が生んだ所の、かやうな芸術品を一応整理し説明すると同時に、其等の作品中の最善最高のものから或る一般的法則を抽象して、これを詩(広い意味に於ける)のテクニークとして若い詩人達に示さうとしたものである。
 歴史的に言へば、アリストテレスの「詩学」は、彼の師プラトンの芸術否定論から生れたものである。プラトンは、彼の哲学の主知的立場から悲劇喜劇を攻撃して、其等は吾吾の魂の中に於いて気高き理性を亡ぼし、劣等なる情緒を旺盛ならしめるものである。すべての芸術は模倣の模倣であつて、実在から三段も遠いものであると言つた。プラトンは戯曲のみならず、ホメロスの詩までも同様の理由から排斥した。プラトンの理想国家に許される詩は市民の子弟教育の資材となるべき限りの詩、即ち神神や英雄に対する讃美の詩歌のみであつた。アリストテレスの「詩学」は、言はば、プラトンの此芸術否定論を反駁したもので、彼の師が何等価値のないものとして排斥した詩を、教育道徳の方便とするやうな従属的地位から独立せしめ、詩それ自身の存在の理由を見付けようとしたものである。さうして、詩はアリストテレスのお陰で、初めて、独立の世界を与えられた。
 アリストテレスの死するや「詩学」は彼の群書の下積みに埋れたまま、幾世紀も世人から忘れられて了つたやうである。西暦三世紀のディオゲネス・ラエルティオスが其第五巻二十一節で「詩学」が二巻から出来てゐることを明示してゐる以外に、吾吾は雅典《アテーナイ》、歴山府《アレキサンドリア》、羅馬《ローマ》の三都時代を通じて、本書に触れた人の名を殆んど聞かない。リチャード・シュートの遺著「アリストートル著書史」に拠ればキケロ(西暦前一〇六~四三)は、就中「修辞学」を二十度も引用してゐるが「詩学」には一言も触れてゐない。プルターク(西暦約四六~一二〇)もアリストテレスの他の多くの書に言及してゐるが、「詩学」には、全然、直接に触れてゐない。古代の人で「詩学」の注釈を書いたといふやうな痕跡は絶無である。
 アリストテレスと共に古代の四大詩学者とも言ふべきホラティウスプルタークやロンギヌスも詩学濫觴《らんしょう》たる本書そのものを知らなかつたやうである。ホラティウス(西暦前六五~八)は所謂彼の詩論「アルス・ポエティカ」の処処(例へば其一一九行、一九一行、一九三行、三三三行等参照)でアリストテレスの詩論の思想を顕してゐるが、其等は単に「詩学」の間接の反映であることは、彼自身の言葉からも判断される。彼は「アルス・ポエティカ」二七五行以下に於いて悲劇の起源に対する彼の無知を曝露してゐるが、それは彼が「詩学」を読んでゐないことを暗示すると言へよう。プルタークに関しては、彼自身の詩学とも言ふべき「読詩人論」(De Audiendis Poetis iii)に於いて、吾吾が蜥蜴《とかげ》の絵を悦ぶのは、それが美しいためでなく、模倣されたものだからであると、アリストテレスの「詩学」四章の反映とも認むべきものはあるが「詩学」そのものに直接に触れてゐるといふことは絶無であると言はれる。最後に、ロンギヌスの「崇高論(ペリヒュプソウス)」(西暦一世紀とも或は四世紀とも言はれる)に至つては、其三十二節にアリストテレスに言及されてゐるが、それは「修辞学」に関してゐる。
 「修辞学」がアリストテレスの死後多くの人から読まれ、其姉妹篇たる「詩学」がまるで忘却された理由は、両書の内容に存するやうに思はれる。「修辞学」は弁論術を説き、何時の時代にも有用な学問であるに反し「詩学」は要するに戯曲と叙事詩のテクニークを説いたもので、特殊な時代にのみ顧みられる学問である。
 普通伝へられる所に拠れば、アリストテレス文庫は初めテオフラスツス、次にネレウスの手に相続され、それからトレミイ・フィラデルフスに買上げられてアレキサンダア市に運ばれた。其後羅馬帝国が基督教へと改宗するや、其文庫は羅馬官憲に依つて検閲され、基督教に反する性質の著書は禁圧されたが、尚秘かに読まれつづけ、やがて回教徒が埃及《エジプト》を占領するに至るや、アリストテレスの研究はシリアのアンティオクに移つた。「詩学」が基督教徒の手に依り受難したことも十分想像できる。殊に現存の「詩学」が原本の半分程に過ぎないことは、その後半で説かれた筈の喜劇論が、基督教徒の道徳心に障って、全部破棄されたが為であると推定される。
 西暦三三〇年|羅馬《ローマ》帝国の首都が羅馬《ローマ》から君府《コンスタンチノープル》に遷つた時、希臘《ギリシャ》文学も共に付随して行き、其処で十五世紀の初期まで、所謂其ビザンチウム時代を作つた。吾吾が有する最古の「詩学」の希臘《ギリシャ》テクストParisinus MS. 1741、通常Acと略称されてゐるものは実にこの時代(西暦一千年頃)に出来たものである。さうして、只、その頃に出来たといふ以外に、中世紀の希臘《ギリシャ》人に「詩学」に関する何等の文献あることを聞かない。然しながら、不思議にも「詩学」は東方の国で読者を見出した。「詩学」は八世紀にシリア語に訳され、十世紀と十一世紀の間にAbu Bishar(またはBashar)Mattaに依つて其シリア訳から亜刺比亜《アラビア》語に重訳された。間もなく亜刺比亜《アラビア》の哲学者アヴェロイーズ(一一二六~九八年)が此|亜刺比亜《アラビア》訳に拠つて「詩学」の註釈を書き、其れが希伯来《ヘブライ》語に訳され、之れが再び十三世紀に、ヘレマヌス・アレマヌスに依り「アリストテレス詩学」の名で羅典《ラテン》訳された。此羅典語の抄訳のみを通して、アリストテレスの「詩学」は僅かに中世に知られるやうになつた。然し、スピンガアン(「文芸復興期の文芸批評史」一六頁)に拠れば、それは此時代の文芸批評界に影響を与へた何等の痕跡もなく「詩学」はダンテにもボカーチヨにも、また殆んどペトラークにも知られてゐなかつた。
 近世に於ける「詩学」の歴史派十五世紀の後半に始まる。此時|君府《コンスタンチノープル》が土耳其《トルコ》人から脅かされたが為に、其処の多くの希臘《ギリシャ》学者が数多の古典文学を携へて伊太利《イタリー》へ逃避したからである。かくして、初めて、伊太利の学者に「詩学」の希臘《ギリシャ》語原文そのものが知られた。一四九八年、希臘《ギリシャ》語からの最初の羅典訳がヂョルヂォ・ヴァラに依りヴェニスに出版され、一五〇八年「詩学」亜原文の初版がアルデュス版の「希臘《ギリシャ》修辞学者」の第一巻として世に出た。然し不幸にして、それは杜撰極まる編纂で、テクストは悪化したと言はれて居る。一五三六年パチはこの希臘《ギリシャ》テクストに羅典訳を添へて出した。一五四八年、ロボルテリは羅典訳と世界最初の註釈とを添へて出した。翌年センニは初めて伊太利《イタリー》訳を出した。続いてマヂ、ヴェトーリ、カステルヴェトロ、及びピコロミニ達の訳註が出た。
 かように幾世紀も隠滅の底に埋れてゐたアリストテレスの「詩学」はヴェニスやフローレンスから矢継早やに出版されるに至つたが、これが直ちに当時|伊太利《イタリー》を中心として起つたルネサンスの文芸評論の根底を形作る運命を持つた。この方面の知識はスピンガアン著「文芸復興期の文芸批評史」から十二分に得られる。
 文芸復興期の伊太利《イタリー》に於ける「詩学」研究はベニに終つたが、其余風を承けたものにネザーランドのライデンから一五九〇年仏人カゾォボンに依り、一六一一年|和蘭《オランダ》人ヘンシュウスに依り、編纂された二つの「詩学」がある。下つて、一六九二年|巴里《パリ》からダシェの仏訳及び註釈と、一七七一年バトゥの「四つの詩学」Les Quartes Poétiques d'Aristote, d Horace, de Vida, de Despréaux)とが出た。
 独逸に於いては一七五五年クルチュスに依り「詩学」の最初の独訳が出た。グーデマン(「アリストテレス詩学」序文一五頁)に拠ればこの独訳は杜撰で、解釈全然ダシェに因つたものであるが、ゲーテやシルレルが此独訳を通してアリストテレスの「詩学」を知つたといふ歴史的興味あるものである。レッシングが一七六七~八年に亘つて、彼の「ハムブルグの戯曲論」に於いて「詩学」の研究を発表してゐることは人も知る所である。
 英国に於いては、一六二三年|倫敦《ロンドン》からゴウルストンの羅典訳が、一七八〇年|牛津《オックスフォード》からウィンスタンリイの註釈が、一七八九年倫敦からツウァイニングの英訳と弘汎な註釈とが、一七九四年|牛津《オックスフォード》からティリットの有名な羅典訳と羅典語註釈とが出た。
 以上十九世紀初期までの「詩学」の諸版註釈は、近世に於ける該書研究のアルデュス版時代のものと仮に名付けられ得るであろう。即ち、其時代までの「詩学」研究社の何れもが、一五〇八年に出たアルデュス版を、さういふ名と、それが世界に於ける「詩学」原文の初版であるといふ威光とで、其最も信憑《しんぴょう》すべき原文であると誤信し、悉く、此れに基因し、単に意義不明の個処に対し、各自思ひ思ひの些細な改訂を加へたのみで、三百有余年に亘って、編纂者から編纂者へ、学者から学者へ伝へたからである(バイウォータア著「アリストートルの詩学」序文二五頁)。
 近世に於ける「詩学」研究の後期とも言ふべきは独逸のリッタア、スペンゲル、並びにファーレン達のアルデュス版の不良性摘発に始まる。かくして、初めてAc稿本が「詩学」の唯一の典拠たることが世界に認められ今日に及んで来てゐる。其故、近世後期に於ける「詩学」研究は独逸に始まり、さうして、独逸に於いて最も優勢であつた。就中、ベルナイス(Grundzuge der verlorenen Abhandlung der Aristoteles über Wirkung der Tragödie; Breslau, 1857)が悲劇のカタルシス作用に対する新解釈を詳説して、初めて学界を首肯せしめたことは特筆大書すべき点である。
 独逸の「詩学」研究に接踵《せっしょう》して起り、而も円熟老成したる点にて前人の塁を摩すの定評あるものが、一八七三~一九〇九年の長きに亘るバイウォータアの「詩学」研究である。バイウォータアはファーレンの余風を承けて、Acテクストが「詩学」最古の稿本たることを論理明快に唱道し「詩学」中の字句述語の殆んど悉くに対し、アリストテレス若くはその他の作家から、其等に平行するものを引用例示して、初めて、其等の真意義を捉へるといふ、最も堅実な法式に拠つてゐる。然して其等の例証を見るに、あるものは、従来、必ずしも、正当に解釈されてゐなかつた字句の意義を確定し、あるものは、伝統的読方を確証し、従来|擅《ほしいまま》に其れに向つて投げられてゐた危惧を一掃してゐる。
 「詩学」のテクスト研究と解釈に対する世界の主なる貢献は以上の如きものであるが、尚、私はここに、一八八七年英人マルゴリウスが、世界に於いて初めて「詩学」の亜刺比亜《アラビア》訳を世に出したといふ一事を特筆しなければならぬ(Analecta Orientalia ad Poeticam Aristoteleam)。マルゴリウスは、其処で此|亜刺比亜《アラビア》訳の処処を断片的に羅典語訳して「詩学」のテクスト研究に此東洋語の訳書を利用する方法を示した。其れ以来、此|亜刺比亜《アラビア》訳、これまで「詩学」学者がやつてきた所の、意味不明の字句に対する創造的修正のあるものを確証したりして「詩学」研究に重大な役目をするやうになつた。其後マルゴリウスは一九一一年、亜刺比亜《アラビア》訳を全部羅典訳し、それと並べて希臘《ギリシャ》語テクストの一つの改訂版を発表した。尚、彼のこの書(The Poetics of Aristotle)は、「詩学」をアリストテレス学に精通暗記したる者のみに理解できる一つの秘伝書と見る観点から取扱つて、多くの興味ある註釈と示唆とに富むことを附記して置く。
 世界に於ける「詩学」研究の大部分はテクスト研究と解釈とに集中されてきたが、近世、独逸で「詩学」に説かれた持論を骨組とし、これをアリストテレスの他の諸篇に散見する此方面に関する彼の言説で肉付け、さうして、此哲学者の頭に存在してゐた芸術論、否な芸術学を組立てて見ようとする試みが起つた。「詩学」そのものは数多の学者の努力で、殆んど、完全に釈明されたが、単に其所に顕はされた一連の思想の説明のみでは、アリストテレスの所謂芸術学を組織する一団の思想を窺ふことは出来ない。そこで、彼自身の多くの諸篇から材を拾ひ集めて、彼の当然考えてゐた芸術学を築き上げようとするのである。この試みをなしたものが、タイヒミュラアの「アリストテレス研究」(Aristotelische Forschungen, 1869)ラインケンの「芸術上に於けるアリストテレス」(Aristoteles über Kunst, 1870)デゥリングの「アリストテレスの芸術学」(Die Kunstlehre des Aristoteles, 1870)ベルナイスの「アリストテレスの戯曲論に関する二論文」(Zwei Abhandlungen über die Aristotelische Theorie des Drama, 1880)である。一八九四年倫敦から出たブチァの「アリストートルの詩論」(Aristotle's Theories of Poetry and Fine Art)は此部類に属すべきものである。


■異本に就いて

 Acと前に述べた所の「詩学」の亜剌比亜《アラビア》訳と今一種の稿本で数多あるルネサンス稿本との価値上の比較問題に関してはバイウォータア「アリストートルの詩学」序文二七~四七頁に亘って明細に論術されてゐる。
 然し、この問題に対するバイウォータアの立場を明かにする為には、先づ、彼に反対の立場をとつてゐる人、例えばマルゴリウスの立場をはつきり述べる必要があらう。亜剌比亜《アラビア》学者でシリア語までにも精通した彼は、「詩学」の亜剌比亜《アラビア》訳が信頼に足るものであることを明かにする為に、彼に知られた二十三個の現存「詩学」稿本中、その十一個を原稿本で、他の十一個を写真版で調べ亜剌比亜《アラビア》訳と比較研究した。かくして彼に依つて校訂されたギリシャ語テクストと、それに対照して掲げられた亜剌比亜《アラビア》稿本の訳文とは、この著者の最善の信念に拠れば、「詩学」の東西両洋の伝統の全部を洩れなく盛つたものであると彼の序文に記されてゐる。事実、マルゴリウスが初めて世界に紹介した亜剌比亜《アラビア》訳は、処処に優れた読方を持つて居、二十世紀の「詩学」研究に大きな影響を与へた。英国ではブチァに大きな影響を与へ、独逸《ドイツ》のグーデマンやステッヒにも明かにその影響が認められる。この亜剌比亜《アラビア》訳が如何に優れた読方を持つかを読者に示す為に私は只一つ、二つの例証だけを此処に挙げたい。例へば「詩学」Ac稿本第一章一四四七a二九節で、十九世紀時代にユーバアウェブが“epopoia”(叙事詩)を削除し、ベルナイスが“anōnumos”(無名なる)を挿入した修正の正しいことが、十年後乃至は二十年後になつてマルゴリウスの前述の著Analecta Orientalia ad Poeticam Aristoteleam四七頁に於いて、亜剌比亜《アラビア》訳の読方に依つて確証されたのである。従つてバイウォータアもそれらの修正を採用してゐる。
 マルゴリウスは、また、Acをギリシャ稿本中最古のものであることを認めるがルネサンス稿本の或るものは必ずしもAcをそれらの原稿本としてゐないと主張する。就中、彼はAcに次いで最古の十四世紀稿本「リッカーディアヌス四六」がAcから独立した別箇の稿本であることを亜剌比亜《アラビア》訳に拠つて証明できることを主張する。即ち「詩学」のギリシャ稿本中、この「リッカーディアヌス四六」だけが最初の原稿本のある一行を保存し、Acをも含めて他のあらゆるギリシャ稿本は、それを脱落させてゐることを指摘してゐる。即ち「詩学」十六章一四五五a一四行に於いて、下の〔 〕の間に在る文句は「リッカーディアヌス四六」だけに見出されると言ふ。to men gar to toxon 〔enteinen allon de mēdena, pepoiemenon hupo tou poietou kai hupothesis, kai eige to toxon〕 ephē enteinein ho oukh heōrakoi, etc.(この弓を張ることが他の何人にも能はぬといふことは、詩人に依り仮定され、一の仮設とされてゐるのに、しかも彼が未だ見たことのない弓を張ると言つた、云々)。所が、亜剌比亜《アラビア》訳の此節にはこの〔 〕内の文句に近似の言葉が見出され、只その最後が「彼が未だ見たことのない弓を張る云々」ではなくして、「彼の未だ見たことのない弓を再認し能ふと言ふならば誤れる推論である」となつてゐる。それ故、マルゴリウスの「詩学」は「リッカーディアヌス四六」稿本の前期の引用文中の第二のenteinein(張る)を誤訳と認め、Ac稿本の同処に見出されるgnōsesthai(知る)に修正し、結局この節を「オデュセイア」十九巻五八六行にかけて解釈して次のやうに意訳してゐる。「オデュセウス以外の何人もこの弓を張れないと、ホメロスに依つて仮定されてゐるが、ペーネロペイアはこの乞食が未だ見たことのない弓を、オデュセウスは再認しようと考へる。発見が弓を張ることでなされなければならなかつたのに、弓を知つている。といふことでなされるのは誤れる推論である」。誠に無味乾燥な、且つ、全く失はれた一の物語の中に出る変装したオデュセウスの露見を問題にして述べられてゐる為に、意味も明確でない言葉を私が敢て読者に示したのは、数多在るギリシャ稿本中「リッカーディアヌス四六」だけに見出される一行の言葉が、亜剌比亜《アラビア》稿本に依つて確認され得るといふ事実をはつきりさせたい為である。しかも、他のギリシャ稿本がその一行を脱落させてゐると考へるならば、マルゴリウスも強調して言ふ如く、昔の写字生がしばしばやつた手近かに二度出る同語の間に挟まれた文句の見落しで、極めてありさうな脱落である事実に注意しなければならない。
 次にバイウォータアの「詩学」の諸異本に就いての見解の大要は下の如くである。
 亜剌比亜《アラビア》訳が、処処にてAcよりも優れた読方をし居、Acに顕はれたる筆耕上の大なる誤謬を訂正してゐるけれども、尚Acは「詩学」の原文として第一位を要求する。其一理由は、Ac稿本は、元来「修辞学」及び後期アリストテレス派の修辞学上の論文をも含んだ一巻の一部分であるが、之等の「詩学」以外の稿本がすべて優れ、各自第一位の典拠たる性質を備へてゐることである。第二の理由は、Acは五世紀四世紀、もしくは其れよりも古い書体の稿本に溯る誤字を持ち、また、処処に古代の字綴りの痕跡を止めてゐるなどの点である。
 マルゴリウスが初めて世に出した亜剌比亜《アラビア》本は、八世紀に、或る一つの希臘《ギリシャ》稿本からシリア語に訳されたのを、十一世紀に亜剌比亜《アラビア》語に重訳されたものである。それ故、吾吾は此|亜剌比亜《アラビア》文字の裏面を眺めて、Ac稿本より、少なくとも、三百年だけ古い一つの希臘《ギリシャ》稿本(通常Σと記号される)を編み出さとするのである。然してシリア訳は、今日、只、僅かな断片――マルゴリウスに拠れば只一頁だけ――以外に現存しない。従つて、吾吾は、亜剌比亜《アラビア》本から先づシリア文字を推定し、更に、それから希臘《ギリシャ》テクストの姿を見極めようとするのである。ここに吾吾が注意すべきは「詩学」の如き性質の書が東洋語に訳される場合、正確は到底望み難いことである。吾吾は「詩学」が説く悲劇なぞに全然門外漢たる東洋人が誤謬なく之れを訳したとは信ずることは出来ない。且つまた、亜剌比亜《アラビア》の訳者がシリア本を誤訳しないとも言へない。尚、今日現存するただ一個の亜剌比亜《アラビア》本のテクストそのものが、誤写その他で大部分痛んでゐることも推測され得る。それ故、吾吾は、単に、シリア本の原本たる希臘《ギリシャ》稿本がAcよりも三百年も古いといふ理由のみにて、其れが、全体を通じて、Acよりも優れた典拠であるとは言へない。吾吾は、只、其部分部分の価値のみを取らなければならない。今の所、亜剌比亜《アラビア》訳の価値は、ルネサンス時代、もしくは、近世の諸学者の頭脳から出た、テクストの字句上の想像的修正のあるものを確証するやうなところがあるといふ点に存する。
 今一種類現存する「詩学」の稿本はルネサンス稿本でAcに非ざるすべての希臘《ギリシャ》稿本がこれである。通常Apographa(略してapogr.)と称せられ、スペンゲルやファーレンに依り、結局Acの写本であると呼ばれたものである。然しながら、之等のルネサンス稿本の処処に点在する、Acよりも優れたる読方は、一部の学者をして、Acと全然別な、さうしてAcの有する誤謬より脱した、或る希臘《ギリシャ》稿本で、今は世に無きものが十五世紀まで残存したと主張せしめた。さうして、一八八七年|亜剌比亜《アラビア》本と其のある部分の羅典《ラテン》訳とが世に出、それがルネサンス稿本の有する優れた読方を肯定するや、この主張は益々権威を加へた。然しながら、Acより独立したある古い稿本が十五世紀に残存したと証拠立てようとする之等の点は、其事実を反証する諸点に比較するならば取るに足らないものである。
 数多あるルネサンス稿本に就いて、先づ、吾吾の眼に迫る要点は、之等のテクストが各自に違つてゐる点である。ある稿本は、Acより、只一歩のみ逸れてゐるに反し、他の稿本はAcから著しく変化してゐる。ルネサンス稿本の中、ウルビナス四七並びにパリシヌス二〇四〇はAcとの差異の軽微な部類を代表するものと言へよう。前者に於いては、吾吾はAcに対する誠に単純なる、而も必然的な修正を相当に発見する。同時に之等の稿本はAcの有する誤謬と誤写とをそのまま継承してゐる。かやうな事実が因つて起る源は只一つである。即ち、彼等はAcそのもの、乃至は、Acの写本を写したものでなければならない。後者の稿本の基本が前者の系統のものであつたことは明白である。何とならば、吾吾は両者の間に、省略その他Acと違ふ読方の点に、可也、一致を発見するからである。尤も両者の間に相違が無いではない。パリシヌス二〇三八とアルデュス版はテクストの伝統を全然破壊してゐる。筆耕者は勝手極まる省略、増補、悪化を行ひ、Acの難解の個処を読易くしてゐるのである。之等の稿本の有する多数の修正中、吾吾が採用し得るものは甚だ僅少である。単に、三、四の正しい修正を有するといふ事実は決して、修正者が之等の修正を、常時残存してゐた或る稿本中に発見したといふ理由にはならない。それに、当時の写字筆耕者は一般に立派な学者であり、同時に、機に臨み鮮やかな工夫の出来る人達であつたことに思ひ至るならば、彼等の多数の修正中の三、四が的中したことは、左程、怪しむに足らないことである。
 以上に挙げた之等代表的稿本から見たルネサンス稿本の諸相は、之等の稿本が持つ優れたる読方すべてが、筆耕者の想像憶説であつたことを明示してゐる。さうして、数多のルネサンス稿本は、結局、何れもAcを基本としたものと認められる。所が、一八八七年、マルゴリウスに依り亜剌比亜《アラビア》訳の有する読方が発表され、其れがルネサンス稿本の有する優れた読方のあるものを確証するや、この結論に対する疑問がとみに台頭した。然し、優れた憶説が、後に新しく発見された文献に依つて確証される例は珍らしくない。「詩学」に於いてさへも、亜剌比亜《アラビア》訳はファーレンの修正、或は遠くマヂ、ヴェトーリ、ヘンシュウスその他の修正のあるものを確証している。さうして、またルネサンス稿本の有する優れた修正も、細密に調べる時には、それほど天啓的な修正ではない。修正者に批判的創意と、これを自由に発揮する勇気と、さうして、古典文学に対する相当の造詣があるならば、左程困難な修正ではない。最後に指摘すべきは、彼等の優れた読方が一本に纏つて見出されるのでなく、諸種の稿本に散見される点である。もしも、其等の優れた読方が、ある古代の、さうして、優れた一つの稿本に存在してゐたのであるなら、何故に、其等の優れた読方は、かやうに、其のあるものは或る稿本に、他のものは他の稿本にと散在的に保有されるに至つたか解釈に苦しむ所であると。


■諸家の読方の比較

 「詩学」テクストに対する学界の大勢は、Ac*を他のすべての稿本の基本であるとするのであるが、今尚ルネサンス稿本並びにアラビア訳に心を惹かれる人もあるやうである。それ故、Acを他のすべてのギリシャ稿本の基本であると信ずるバイウォータアのテクストと、ルネサンス稿本並びにアラビア訳を、可也信頼するマルゴリウス並びにブチァのテクストとを比較して見る時は、「詩学」稿本に対する世の之等の二種の見解を比較し得られよう。さうして、また、両氏の各テクストの下に掲げられた異読表は吾吾をして、「詩学」テクストに対する従来の諸学者の見解のほぼ全般を一瞥せしめる。それ故、訳者は両氏の異読表に拠つて、先づ、両氏のテクストを比較し次に、之等をマルゴリウス、ティリット、またはステッヒ、グーデマンなどの独訳と比較して見た。下に掲げられた異読表は、かやうな比較の結果発見された「詩学」本文の読方並びに解釈上の相違の中、差異の顕著なるもののみを、章を追うて、列挙したものである。異読の各には、先づバイウォータアの原文に於ける、次に本書の和訳に於ける、其場処を冠した。また、訳者は引用せるギリシャ原文を悉く羅馬《ローマ》字に書換へた(ユィプシーロンをすべてuで現はし、iota subscriptumを横に表はして)。尚、下の異読表には、従来の慣例に倣つて左の略語略符を用ひた。
* Ac:十一世紀に出来た稿本で、他のすべての稿本の基本と認められてゐるもの。
  agogr.:Ac以外の稿本の一つ若くは一つ以上。
  Arad.:「詩学」の亜剌比亜《アラビア》訳。
  Σ:亜剌比亜《アラビア》訳を通して想像し得た、Acよりも遥かに古く、今は世に無き稿本。
  Ald.:一五〇八年のアルダイン版。
  〔 〕:稿本中の字句で、筆耕者の不注意な、若くは不必要な増字並びに重複語と見做され、削除された部分を画する符号。
  〈〉:アリストテレスは、実は、かう言つたのであらうとの想像的補挿の字句を画する符号。
  **:字句の剥脱したる、若くは、剥脱したものと想像される個処を示す符号。
  †:悪化した字句で、未だ、満足なる復旧を見ない部分を示す符号。

【編注:各章の比較は各章のエントリの下に移動した】

 

■本書の和訳とその解説註釈とに就いて

 本書の和訳は、全然、一九〇九年、牛津《オックスフォード》版バイウォータア著「アリストートルの詩学」のテクストと、其練達したる英訳並びに註釈とに其因したものである。訳者は、先づ其テクストを能ふ限り精査し、次に其英訳に向ひ、さうして、これにどこまでも、因りながら尚、措辞に於いて、出来るだけ希臘《ギリシャ》語の持味を出すことに努力した。和訳の此処彼処に出る〔 〕を附した割註は原文に無い字句で、而も読んで分る文章として必要と訳者が認めた補挿句である。之等の補挿句を容れ、また、バイウォータアの英訳に於いて、希臘《ギリシャ》語のままに出てゐる引用句などを和訳するに就いて、一九一三年頃|亜米利加《アメリカ》で出たクーパアの「詩学」敷衍《ふえん》訳が参考になつた。
 Acが現存の他のすべての稿本の基本たることを信ずるバイウォータアの「詩学」の特色は、従来、他の多くの「詩学」学者がAcの難解なる個処に出会う毎に、無造作に直ちに、或はルネサンス稿本に向ひ、或は亜剌比亜《アラビア》訳に向ひ、其等の有する読方を採用したに反し、彼は明正なる考察の下に、従来の修正の非を唱へ、Acにあるままを採用し、而も見事に解釈し去つた点に存する。
 訳者は、バイウォータア及びブチァのテクストの下に掲げられた異読表の示すところに拠つて、ティリット、ファーレン、リッタア、ズゼミール、マルゴリウスその他の「詩学」学者の別様の読方に直接に当つて見、さうしてまた両氏並びにマルゴリウス、ステッヒ、グーデマンなどのテクスト並びに英、独訳を比較して見た。この可也|煩瑣《はんさ》な仕事が訳者に齎《もたら》した果実は、本書の和訳が一層正確になつたことと、今一つ、さうしてそれは最も重要なことであるがブチァのテクストを通して「詩学」稿本に対し、バイウォータアと丁度正反対の見解を有する「詩学」修正者の読方をほぼ窺ひ知つた事である。ブチァはマルゴリウスと同じく、Acが他の稿本よりも優れてゐるとは信ずるが、其れが他のすべての稿本の基本であることを信じない。其理由は、結局、前述の、ルネサンス稿本の優れた読方のあるものは、単に筆耕者の修正としては、あまりに優れたものであるといふ点に帰する。両者を比較すると、バイウォータアがAcのままを採用してゐる個処で、ブチァがルネサンス稿本を採用してゐる例は十を下らない。またブチァは、亜剌比亜《アラビア》訳を非常に信頼してゐる点に於いて、バイウォータアと際立つた対照をしてゐる。バイウォータアがAcのままを採用してゐる個処で、ブチァが亜剌比亜《アラビア》訳を採用してゐる例は五を下らない。
 本書の註釈は、主として、バイウォータアの示唆に依つて出来たものであるが、尚これを補ふに、前紀のマルゴリウス著「アリストートルの詩学」、バトゥ著「四つの詩学」、ツウァイニングの美しく、さうして、珍らしい挿話的註釈、並びに一八八七年|独逸《ドイツ》に出たステッヒ著「アリストテレス詩学」註釈等の採録を以てした。また必要に応じて、註釈の部に於いて、各章の冒頭に冠した解説はバイウォータア同上の書、ブチァ著「アリストートルの詩論」四版並びに、深田康算博士著「芸文」掲載「アリストテレスの芸術論」、殊にウィラモウィツ著「ギリシャ悲劇序論」に負ふ所多大であつた。ウィラモウィツの著は「詩学」、殊にアリストテレスのトラゴーディアの定義に対する、今日最も権威ある解説並びに批判と考へられるから、本訳書の第六章に於いて、彼の所説の概要を紹介しておいた。
 本書の解説註釈に引説したプラトン対話編はジァウェットの英訳に拠つた。アリストテレスの「政治学」はジァウェットの英訳並びに、ニューマンの註釈に、「倫理学」はチェイズ及びギリスなどの英訳並びにスチュウァトの簡訳と註釈とに、「修辞学」はジェップの英訳並びにコープの註釈に拠つた。註釈中、希臘《ギリシャ》演劇に関してはヘイグ著「希臘《ギリシャ》悲劇」並びに同人著「希臘劇場《アテツクシアタア》」(三版)並びにモールトン著「古代古典劇」二版などに拠つた。また、希臘《ギリシャ》悲劇の梗概に関しては、アイスキュロスはスウォニクの散文訳(ボーンス叢書)に、ソフォクレスはストーの英訳(ハイネマン社)コウルリッヂの散文訳(ボーンス叢書)などに、エウリピデスはウェイの英訳(ハイネマン社)に拠つた。最後に、ホメロスに関しては、主として「イリアス」はダービイ卿の英訳(エブリイマンス叢書)に「オデュセイア」はマリの散文訳(ハイネマン社)に拠つた。

 

 

【編注】

旧字体新字体の変換のほか、常用+人名用の範囲に含まれない漢字等を、以下のように変換またはルビ振りした。その他、知名についても適宜ルビ振りをおこなっている:
・堙滅→隠滅
・危懼→危惧
・玆に→ここに
・屡〻→しばしば
・益〻→益々

アリストテレス『詩学』第二十六章/了(松浦嘉一訳) ※書きかけ

■■ 第二十六章 ■■

 叙事詩とトラゴーディアと、いずれが、より優れた模倣の形式であるかといふ問題が起り得る。〔叙事詩偏重者*1は下のやうに論ずる〕。卑俗性のより少ない芸術が、より優れたものであるなら、さうして卑俗性のより少ない芸術は、常に、より優れた聴衆に訴へるものであるなら、あらゆるすべての人人に訴へる芸術は、甚だ卑俗であると。演技者達は、彼等自身何者かを附け加へねば、聴衆が、そこに描かれたものの意味を解しないと信ずるが故に、彼等は、絶えず動いて、多くの身振所作をしなければならぬ。例へば悪しき吹笛者達は、投輪の光景が演奏されるならば、展転と廻転し、「海鬼」(スキュラ)*2が演奏されるならば、楽長に掴《つか》み掛かる。そこでトラゴーディアは、丁度かうした性質の芸術である、近頃の俳優が前期の俳優の眼に映る、あの俗悪さを実際に持つた芸術であると〔叙事詩偏重者は主張する〕。何とならば、ミュニスコス*3は、カリビテス*4を猿と呼んでゐたし(それは、後者が、誇張した身振所作で、役をやり過ぎるやうに思はれたからである)また、ピンダロス*5に関しても、これと同じやうな評判があつたからである。けれど、トラゴーディア全体が、叙事詩に対して、丁度、近頃の俳優が前期の俳優に対すると、同じ位置に立つと彼等は主張するのである。従つて、叙事詩は、身振所作が伴ふことを要求しない所の教養ある聴衆に、トラゴーディアは教養のない聴衆に訴へると見做《みな》されてゐる。それ故、トラゴーディアが卑俗な芸術であるならそれは、明らかに、叙事詩よりも劣等でなければならない。
 〔吾吾は、以上のトラゴーディア軽侮論を二重に論駁《ろんばく》し得る〕。第一に、吾吾が主張すべきは、これらの非難は、トラゴーディア詩人の技術に触れてゐないで、只俳優の演出法にのみ触れてゐることである。何とならば、身振所作をやり過ぎることは、叙事詩吟唱(例へばソシストラトス*6の如く)並びに歌謡競技(例へばオプンティア人ムナシテオス*7の如く)にもあることである。次に、吾吾は、舞踏をさへ排斥しようと思はない限りは、凡ての身振所作を排斥することの不可を主張しなければならぬ。排斥すべきは、只、鄙陋《ひろう》なる人人の身振姿態であつて、カリピデス、その他今日の諸俳優に対して、彼等の演ずる女は淑女でないと非難あるは、ここの事である。尚吾吾は、トラゴーディアもまた叙事詩に於けると同様に、運動〔即ち身振所作〕なくしてその効果をもたらし得ることを主張しなければならぬ。何とならば、それは、単に読むばかりでその作の性質が判明するからである。それ故、トラゴーディアが、他の種種な点に於いて優れてゐるならば、それが叙事詩よりも劣るといふこの分子は、それにとつては、無くてはならない要素でない。
 第二に、吾吾が記憶すべきは、トラゴーディアは、叙事詩が有する凡てのものを持つ(叙事詩*8の韻律さへ用ひ得られる)上に、決して瑣瑣《ささ》たるものでない附加物を有してゐることである。即ち、音楽(これは明白に戯曲の悦びを生み出す真の要素である)と場面とである。次に、それは、読むことに依つて、それが演出されるを見ると同様に生き生きと、まのあたりに彷彿《ほうふつ》させ得ることである。尚トラゴーディアはその模倣の目的を、叙事詩よりも短い時間で遂げ得る。これは非常に有利な点である。より多く凝集させた効果は、時が長く引き伸ばされて、稀薄になつた効果よりも、より大なる悦びを与へるから。例へば、誰かが、ソフォクレス作「オイディプス王」をとり、これを「イリアス」と同じだけの行数に拡げたならば、その結果は、果してどんなものか考へて見るがよい。最後に、叙事詩人の模倣は、トラゴーディアほどの統一を持たないことである(この事は、叙事詩人の如何なる作からも、数多*9のトラゴーディアが作られる事実から証拠立てられる)。それ故、叙事詩人が、もしも単一なる物語をとり、これを短く描けば丈の詰まつたやうに見え、これを英雄詩のいつもの長さで描けば稀薄な感がする。叙事詩には、トラゴーディアほどに統一がないと言ふ時、吾吾は、数多の行動を仕組んだ叙事詩を意味する。例へば「イリアス」や「オデュセイア」は多くのかやうな部分を持ち、それらの部分はそれぞれ、ある長さを持つ。しかもこれらの二つの詩篇は、出来得る限り完全に組織され、出来得る限り単一なる行動を模倣してゐる。然らば、トラゴーディアがこれらの諸点のすべてに於いて、且つまた、詩的効果を齎《もたら》す点に於いても(これら二種の詩は如何なる悦びをもでなく、前に*10述べたあの特殊な悦びをのみ生むが故に)叙事詩より優れたるものならば、それは叙事詩よりもより有数に詩の目的を遂げるものとして、明白に、より優れた芸術であらう。
 トラゴーディアと叙事詩とに関して、其等の一般及び其等の種類、其等の構成要素の数と性質、及び、其等に於ける成功失敗の原因、及び、批評家の非難攻撃と、その弁明とに関しては、以上述べた如きものである。****11


■訳者解説

 

■諸家の読方の比較

 

■訳注

 

■編注

旧字体新字体の変換のほか、常用+人名用の範囲に含まれない漢字等を、以下のように変換またはルビ振りした:
孰れ→いずれ
転輾→展転
掴み:ルビ
見做されて:ルビ
論駁:ルビ
鄙陋:ルビ
瑣瑣:ルビ
彷彿:ルビ
齎す:ルビ

アリストテレス『詩学』第二十五章(松浦嘉一訳) ※書きかけ

■■ 第二十五章 ■■

 次は、詩を評論するに当つて起る諸問題とその解決とに関してである。これらはある仮定に基いてなされる。その仮定が幾箇あるか、並びに如何なる性質のものかは、この問題を次のやうに観て行くことに依つて明かになることである。詩人は丁度画家や他の模像作家〔例へば彫刻家〕のやうに模倣者である以上、如何なる場合でも、必ず事物をその三局面の何れか一つに於いて、即ち事物のあつたままか、あるままを、或はあつたと、もしくは、あると伝えられ想像されるままを或は、さうなくてはならぬままを、模倣しなければならぬ。詩人は、之等すべてを言葉を以て、恐らくはそこへ外来語、隠喩、並びに様様に変形した語(この種類の語は詩人にまで許されてあるからである)を取り合はして描き出すのである。また記憶すべきは、政治学並びに他の学術に於いて正しいものが、必ずしも、詩に於いて正しくないことである。然し、詩それ自身の範囲に於いて、二種類の誤謬《ごびゅう》が起り得る。一つは芸術の本質に触れた誤謬《ごびゅう》であり、他は芸術と直接に関係のない偶発的|誤謬《ごびゅう》である。もしも詩人が、ものを正しく描かんと欲し、しかも力量及ばず失敗したならば、彼の芸術そのものが誤つてゐるのである。然し学術的|誤謬《ごびゅう》(例へば医術その他の)もしくは、如何なる種類の不可能事が詩人に依つて描かれたとしても、それが詩人が態と正しくない描き方を求めた(例へば走る馬の両右足を前に投出させる如き)結果ならば、詩人の此場合の誤謬《ごびゅう》は詩の本質的|誤謬《ごびゅう》ではない。それ故、批評家の非難攻撃に対する詩人の弁明は、以上の諸点から出発しなければならぬ。
 吾吾は、先づ第一に、詩人の芸術そのものに関する非難攻撃を考へよう。詩人が彼の詩に於いて描く、如何なる不可能事も誤謬《ごびゅう》である。然し、もしそれらの不可能事が、詩そのものの目的に副ふ場合は、即ちもし彼等が(詩の目的に就いて先きに述べたこと*1を真なりと仮定して言へば)詩のある部分に、より多く驚異を添へるやうな効果を齎《もたら》すならば、彼等は、正当なものとして許容される。かのヘクトールの追跡が適切な例である。然し、詩の目的が、その詩がかやうな事柄に於ける学術的正確を犠牲にしなくとも、同程度に、もしくは寧ろより善く達し得られるならば、不可能事は決して正当なものとして許されない。詩人はもし出来れば、全然|誤謬《ごびゅう》から脱すべき筈だからである。而して尚吾吾は、その誤謬《ごびゅう》は芸術の本質に触れたものか、もしくは芸術と直接に関係のない偶発的のものか、何れであるかを質し得る。何とならば、画家が例へば牝鹿《めじか》に角《つの》が無いのを知らないことは、牝鹿を描いて少しも似てゐないよりは、小さい誤謬《ごびゅう》だからである。
 次に、詩人の描いたものは事実に反すると攻撃されたならば、多分「否、それはさうでなくてはならないのだ」と、丁度ソフォクレスの弁明のやうに主張し得るであらう。ソフォクレスは「余は人間をさうあるべき如くに描くに反して、エウリピデスは人間をありのままに描く」と言つた。然し、もしも詩人の描いたものが、事実も、また、理想をも捉へてゐないならば、彼は「世間にさう伝はる」と答へたらよい。例へば神神に関する話は、恐らくは事実でもなく理想を歌つたものでなく、実際、クセノファネスが考へるやうに、不道徳極まるそらごとである。然し、兎に角、彼等はさう世に伝はる。また、詩人が描いたもので、攻撃を受ける他の場合に於いては「それは事実よりより善く描いたのでない。然し当時はさうであつた」と答へてよい。例へば、兵器*3に関する描写である。「彼等の槍は柄先を大地に突きさして、まつすぐに立てられた」と。当時に於いては、丁度、今尚、イリュリア人に見るやうに、さうするのが習ひであつたからである。詩の中に於ける人物の言語行動が、倫理的に正しいか否かといふ問題に関しては、言語や行動そのものの善悪を考察するのみならず、言ふ人、もしくは、為る人、その相手、時、手段、動機(例へば、より大なる善に達しようとしてか、もしくは、より大なる悪を避けようとしてかといふ如き)を考察しなければならない。
 他の非難攻撃に対しては吾吾は字句の考察に依つて弁明しなければならぬ。「先づ*4一番にourēasを」といふやうな個処に於いては、ある語を外来語として解釈することに依つて弁明し得る。ホメロスは恐らくourēasを以て騾馬《らば》でなく、番兵を意味してゐるからである。また*5、ドローンに就いて「彼の容姿《すがた》は醜くあつた」と書く時、それは、ドローンの身体の不格好でなくして、彼の顔の醜さを意味するのであらう。クレテ島の言葉では「美姿」は「備忘」を意味するからである。また「酒を濃くせよ」*6は、のんだくれに飲ませるやうに「酒を強くせよ」といふのでなく「酒を芳醇にせよ」を意味するのであらう。ホメロスの字句に隠喩と解釈され得るものがある。「すべての神神と人人はとは、よもすがら、寝てゐた」と言ふホメロスは、同時に「トロイの陣営を見れば、そこから、竪笛や管笛の音色が漏れてくる」と言ふ。この場合「すべて」は隠喩であつて「多」を意味する。「すべて」は類である「多」の一種だからである。また同じく「大熊星[#傍線]のみ[#傍線終わり]は地平線下に没しない」*8も隠喩である。吾吾に最も熟知されてゐるものは、唯一のものと呼ばれ得る。次に、タソス人ヒピアスが示唆したやうに、字句の読方を変化することによつてdi-domen de hoi並びにto men hou kataputhetai ombrōi *11に起る問題を解決し得る。他の問題は言葉の句切り方を変へることに依つて解決し得る。例へば、エ[#下付き小文字]ム[#下付き小文字終わり]ペドクレスの「かつては不滅であつた要素も、卒然と、死すべきものとなり、かつては純なりし要素も、混交したものとなつた」である。〔此文を、以上のやうに句切つて読めば、文意に矛盾が起らずにすむ〕。また両意義の語の、他の一方の意義をとりて問題を解決し得る。「夜は三分の二pleō過ぎた」*12に於けるpleōは両意義の語である。或は言葉の慣習に依つて問題を解決し得る。吾吾は、水を割つた酒を、尚酒と呼ぶ。同様の法則に依つて「新製の錫で鋳た脛当《すねあて》」と描かれたのである。吾吾は鉄で細工する人を、尚「あかがね師」と呼ぶ。同様の法則によつてガニュメデスは、神神が酒を飲まなくとも「主神にお酌をする者」*15と描かれる。然し、この問題は隠喩の例としても解決し得る。然し一つの語が、ある矛盾を意味する如く見える何時の場合でも、その語がその句に於いて持ち得るすべての意味を考察しなければならぬ。例へば「あかがねの槍はそれで喰ひ止められた」*16の「喰ひ止められた」が持ち得る、あらゆる意義を考へなければならぬ。吾吾は、語の意義をあれかれと考ふることに依つて、グラウコーン*17が非とする過失を最もよく避けるであらう。グラウコーンはある一部の批評家を非難して下の如く言ふ。「彼等は蓋然でない仮定から出発し、さうして自身、勝手な風に定めて了つてから推論に進み、そして詩人の述べる事柄が、彼等の考へてゐる所に反してゐるなら、彼等が偶々誤認する所のものを、まるで詩人が実際に意味してゐるかのやうに、詩人を非難する」と。イカリオス*18に関する非難が丁度この種のものである。批評家達は、先づ、イカリオスをラケダイモン人と仮定して了ひ、さうしてテレマコスが、ラケダイモンへ旅した時、彼が〔彼の祖父である〕イカリオスに会はないことは変だと、ホメロスを攻撃する。然るに、事実は、恐らく、ケファレニアの人達が言ふ如く、オデュセウスの妻はケファレニア人で、彼女の父の名はイカリオスでなく、イカディオスであつたであらう。それ故、かやうな問題を起したものは、恐らく、批評家側の誤解である。
 大体から意つて吾吾は不可能事を、それを用ひなければ詩とならない、もしくは、それはより善きものである、もしくは、世の中でさう認められてゐるといふ様な諸点を斟酌《しんしゃく》して許容しなければならぬ。吾吾は、詩の目的に副ふためには、ありさうにも思へぬ可能事よりも、寧ろ、ありさうに思へる不可能事を選ぶべきである。チェウクシスが描いたやうな〔美しい〕人間が、実際にあり得ないものならば、それらの絵は、より善き人間を描いてゐると弁明し得る。何とならば、美術家はモデルより美しく描くべき筈だからである。次に、吾吾は蓋然でないことを、それが巷説と符号することを示すか、もしくは、それがある時代に於いては、蓋然でなくはなかつたと主張することによつて弁明し得る。何とならば、蓋然でないことが起ることは蓋然だからである。また、吾吾は詩人の言葉の中に発見された矛盾を、丁度、弁論に於いて、相手方からの論駁《ろんばく》の成否を一応吟味するやうに、詩人は果してその個所で批評家が思つてゐると同じ事柄を、同じ関係で、さうして同じ意味で言つてゐるかどうかを検べてから、初めて詩人の言葉は、彼自身の語る所と、もしくは、識者の正しとする所と矛盾すると言はなければならぬ。然し、吾吾が何等弁明の仕様もないのは、エウリピデスのアイゲウス*19が出て来る如き不自然や、或は「オレステス」に於けるメネラオス*20の卑劣さのやうに、何等の必要もなく、何等の利益もなく、非蓋然な筋や性格の卑劣を描くことに対する非難攻撃である。
 批評家の多様な非難攻撃は、結局五種類に帰し得る。彼等の非議は、常に〔そこに描かれたあるものが〕不可能である、蓋然でない、倫理的に有害である*21、矛盾する、あるいは学術的正確に反するといふ理由の下に起る。之等の非議の弁明の仕方は、上に挙げた項目の何れか一つの下に見出される。それらの項目の数は十二である*22。

 

■訳者解説

 

■諸家の読方の比較

 

■訳注

 

■編注

旧字体新字体の変換のほか、常用+人名用の範囲に含まれない漢字等を、以下のように変換またはルビ振りした:
饒舌:ルビ
偶〻→偶々
誤謬:ルビ
齎す:ルビ
牝鹿:ルビ
騾馬:ルビ
洩れて→漏れて
混淆→混交
脛当:ルビ
斟酌:ルビ
論駁:ルビ

※「角《つの》」「容姿《すがた》」は元の訳文のルビ。

アリストテレス『詩学』第二十四章(松浦嘉一訳) ※書きかけ

■■ 第二十四章 ■■

 尚、叙事詩は、トラゴーディアと同様なる種類に分けられねばならぬ。即ち、単一もしくは複雑なるものかでなければならぬ。性格、若しくは苦悩の物語でなければならぬ。また、叙事詩の構成要素も、旋律と場面とを取除けば、それと全く同じでなければならぬ。叙事詩は、それと同様に、急転(ペリペテイア)、発見(アナグノーリシス)、並びに、苦悩の場面を必要とするからである。最後に、叙事詩は優れたる思想と措辞とを持たねばならぬ。すべてのこれらの要素を、初めて、しかも正当に用ひた詩人はホメロスであつた。彼の二つの詩は、共に、叙事詩の組成の模範である。「イリアス」は単一な物語で苦悩を描き「オデュセイア」は複雑な物語で(この詩の随処に発見(アナグノーリシス)がある)性格を描いてゐる。さうしてホメロスの長所はそれだけではない。彼の詩は、措辞*1と思想*2との点で、他のあらゆる詩よりも優れてゐるのである。
 然し、叙事詩は、その長さの韻律の点で、トラゴーディアと相違する。叙事詩の長さに関しては、先きに述べた限界で十分であらう。即ち、物語の初めと終りとが一瞥の下に眼に入り得ることが必要である(古代の叙事詩よりは短く、さうして一度に*3演じ得るやう脚色された一組のトラゴーディアが持つほどの長さの詩が、この条件に適ふであらう)。叙事詩は大なる延長を持つ点で、ある大なる特殊利益を持つ。吾吾は、トラゴーディアに於いては、同時的に起る数多の出来事を模倣するを得ず、その舞台*4の上に起り其処へ登場する俳優と結び付いた、只一部分の出来事に限られる。これに反して、叙事詩に於いては、それが単に物語を叙述して行くだけの性質上、同時に起る数多の出来事を描くことが出来、さうして、もしそれらの出来事が主題に適切ならば、詩の量を増加する。この点は、叙事詩にとりては、一つの利益であつて、詩を壮大にし、聴衆の気分を変え、種種な挿話を差し加える余地を与える。出来事の千篇一律であることは、トラゴーディアに於いてさへ、すぐ、観衆を飽かせ、彼等から叱声を招き易い。次に、韻律に関しては叙事詩は、経験上英雄詩の韻律を専用するやうになつた。万一詩人が、他の韻律の一つ、或は数個を以て、叙事詩を作らうなどと企てるなら、不調和なものが出来上ることは明かである。英雄詩韻律は、真に最も落付きある、さうして、最も重みある韻律である。その理由で、この韻律は外来語並びに隠喩を、自余の韻律よりも、より多く許容し、其処に叙事詩が他の詩の上に出る、また一つの点があるわけである。これに反して、短長脚韻律と長短脚韻律とは動的な韻律であつて、前者は生命と行動との連動を、後者は舞踏の運動を再現するに適してゐる。〔それ故、共に荘重な叙事詩には適してゐない〕。もし、*5誰かが、カイレモンのやうに、幾多の韻律を寄せ集めた叙事詩を作らば、益々不自然であらう。未だかつて誰も、英雄詩韻律以外の韻律で以て、長い物語を書かない理由は此処から来てゐる。むしろ、自然そのものが先きに言つた如く、かやうな物語に適する韻律を選び出すことを吾吾に教へるのである。
 ホメロスはあらゆる他の点に於いて嘆賞すべき詩人であるが、特に、また、多くの叙事詩人中、彼一人だけが、詩を作るに当つて、作者自身のなすべき役目に対して無知でなかつた点に於いて、大なる賞讃に値する。詩人が〔素面で作中に出て〕饒舌《じょうぜつ》を振ふといふやうなことは、出来るだけ避けねばならない。かやうなことをする時、詩人は、最早模倣する人でなくなつて了ふ。自余の詩人は、作中絶えず、素面で現はれ、模倣する人としては、極めて僅かに、それも極めて間遠《まどほ》にしか語らないに反して、ホメロスは一つの短い序詞を述べると、すぐ一人の男もしくは一人の女、もしくは他の性格を導き出し、しかも、彼等の一人として、性格の無い者は無く、各自皆特殊の性格を具へてゐるのである。
 驚異すべき事物は、トラゴーディアに於いて、無論なくてはならない要素である。然し叙事詩に於いては、驚異すべき事物の主原動力たる、非蓋然な事物が、トラゴーディアよりもよく多く許容される。その理由は、叙事詩に於いては、行動者は、吾吾の眼前に現はれて来ないといふ点にある。かのギリシャ兵*6は足を停め追跡を止め、アキレウスは首を打ち振りながら、部下の手出しを止めると言つた、ヘクトールの追跡の場面を舞台の上に描いたならば、笑ふべきものとなるであらう。然し、叙事詩に於いては、かやうな事態の馬鹿らしさは看過される。とにかく、驚異*7すべきものは悦びである。吾吾がものを話すに当つえ、吾吾はさうすることが、聴手を悦ばすものと信じて、種種|尾鰭《おひれ》を附けて語る事実が、その証拠である。
 虚偽を甘く構成する仕方を吾吾余人に向つて教へた者は、就中ホメロスである。而してホメロスが吾吾に教へたものは、要するに、偽論(パラロギスモス)の方法である。甲が在ればもしくは起れば、その結果たる乙が在るもしくは起ると仮定するならば、人人は、もし乙が在れば甲が在る、もしくは起ると思惟する。然し、それは誤れる推論である。それ故、もし甲は真実でないが、然し他のあるもの、即ち乙が在り、而して乙は甲が真実ならば、必然的に在る、もしくは起るべきものと仮定すれば、詩人にとつて甘く虚言をつく方法は、己を虚偽である甲に附け加へることにある。吾吾は後者乙の真実なることを知るから、吾吾の頭は、前者甲を真実なものとして了ふ如き、誤れる推論に陥つて了ふ。「湯浴み」*9の節がその一例である。
 詩人は、実は可能だが到底信じられない出来事よりも、寧ろ実は不可能だが本統にありさうな出来事の方を選ぶべきである。物語は、決して、非蓋然的な出来事から仕組まれてはならない。物語の中には、非蓋然なる如何なる分子も入つてはならない。然し、已むを得ない場合は、かやうな分子はその作篇の外に置かれねばならぬ(例へば「オイディプス王」に於いて、主人公がライオスの死の顛末《てんまつ》を知らなかつたことのやうに)。さうして、決して作篇の中に入れてはならない(例へば「エレクトラ」の中のピュトオ*10の競技の知らせ、もしくは「ミュシア人」*11の中の、テゲアからミュシアまでの道中を〔テレフォスが〕一言を発することなく来た話のやうに)。それ故、かやうな非蓋然的分子を除いたならば、筋が損はれたであらうと言ふ弁解は笑ふべき話である。かやうな筋を仕組んでならないことが詩の原則だから。けれども万一、詩人がかやうな非蓋然的な筋を描き、さうして人をして、作者は、この筋をもつと蓋然的な形式に書けば書けたであらうにと、明かに思はするならば、その尺者は芸術上の過失のみならず、背理の罪に問はれなければならぬ。吾吾が「オデュセイア」に於いてさへも発見する所の非蓋然的な出来事(オデュセウスが岸辺へ打ち棄てられるといふ)は、もし、劣悪な詩人の手に描かれたならば、明かに読むに堪へないものになつたであらう。所が実際は、ホメロスに於いては、彼の瑰麗《かいれい》な筆が、かやうな出来事の馬鹿馬鹿しさを包み隠して、その非蓋然性を吾吾の眼に触れさせない。然し、措辞を凝らすことは、行動のない個処、また顕明すべき何等の性格も思想もない場処にのみ必要である。性格や思想を描かうとする個処に於いて、あまりに華麗な措辞は、却つて其等を不分明として了ふが故である。


■訳者解説

 

■諸家の読方の比較

 

■訳注

 

■編注

旧字体新字体の変換のほか、常用+人名用の範囲に含まれない漢字等を、以下のように変換またはルビ振りした:
饒舌:ルビ
益〻→益々
尾鰭:ルビ
顛末:ルビ
瑰麗:ルビ

※「間遠《まどほ》」は元の訳文のルビ。

アリストテレス『詩学』第二十三章(松浦嘉一訳) ※書きかけ

■■ 第二十三章 ■■

 次に、単に叙述するだけの詩、即ち韻文を以て模倣する〔に止まり、描かれたものを舞台の上にて実行しない〕所の詩に関して述べようと思ふ。叙事詩の物語は、トラゴーディアに於いてと、同じ法則の上に仕組まれねばならぬ。即ち、物語は、単一なる行動、それも、それ自身完全なる全きものであり、さうして初めと中と終りとを持つ行動の上に築き上げられねばならぬ。かうして其作は、恰も一個の全き生き物が〔それ自身の美を持つ〕やうに、一完全体を以てその独特の悦びを生み出すであらう。また、吾吾は吾吾の所謂歴史なるものを、叙事詩と同一視してはならぬ。歴史に於いては一個の出来事でなく、一時期と、その間に一人もしくは、より以上の人人に起る、あらゆる出来事を描き、それらの出来事は相互にどれほど連絡がなくともいい。二個の出来事(例へば、サラミス沖の海戦とカルタゴ人とのシリリイの戦の如く)は、同時に起り、しかも共通な一つの終極点に到着しないやうに、また二個の出来事が、時を前後して相続いて起り、しかも、共通の結末に達するといふ結果にならないことが時時あり得る。然るに、わが叙事詩人の大半は、叙事詩と歴史とのこの区別を殆んどしない。それ故、吾吾が既に言つた如く、ホメロスが他の詩人達よりも驚嘆すべき程優れてゐることは、此処でも十分に覗《うかが》はれる。ホメロスは〔決してイリアスの伝説すべてを彼の詩の題材としなかつたのみならず〕トロイの戦さへ、たとへそれが初め終りある全きものであるにも拘らず、その全体を取扱はなかつた。何とならば、それはあまりに巨大であり、一瞥の下に頭に入るべき恰好のものであるまいし、仮令さうでなくとも、出来事の多様な為に、あまりに複雑なものであらうと、恐らくは彼に思はれたからである。実際の所は、ホメロスは、トロイの戦の物語全体の中から一部分〔アキレウスの怒り〕だけを抜いてゐる。然し、他の多くの出来事は、彼は挿話として入れてゐる。例へば、彼は「船の列挙」*1その他の挿話を以て叙述に変化を与へてゐる。然るに、他の詩人達は、或は一人の人〔のすべての行動〕を、或は一時期〔のすべての出来事〕を、或は多くの部分を持つ所の一つの行動を取扱ふ。例へば、「キュプリア」並びに「小イリアス」の作家達のやつたことがそれである。さうして、その結果は「イリアス」並びに「オデュセイア」各〻からは一つもしくは高高二つのトラゴーディアしか脚色し得ないに反して「キュプリア」からは数個の、また「小イリアス」からは八個以上のトラゴーディアが脚色され得る。即ち「甲冑《かっちゅう》の審判授与」*4「フィロクテテス」*5「ネオプトレモス」*6「エウリュピュロス」*7「乞食のオデュセウス」*8「ラコニアの女達」*9「イリアスの落城」*10「船出」*11並びに「シノン」*12と「トロイの女達」*13とである。

■訳者解説

■諸家の読方の比較

■訳注

■編注

旧字体新字体の変換のほか、常用+人名用の範囲に含まれない漢字等を、以下のように変換またはルビ振りした:

覗はれる:ルビ
甲冑:ルビ
各〻→各々