松浦嘉一「あとがき」(アリストテレス『詩学』)

アリストテレス詩学』(松浦嘉一訳/岩波文庫1949年刊)pp.265-266.

【松浦嘉一 (1891-1967) 死亡後50年経過につき2018年1月より本国(日本)においてパブリックドメイン。】

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■■ あとがき ■■

 本訳書は大正十三年に岩波書店から哲学古典叢書の一つとして刊行された「アリストテレス詩学」を補修したものである。当時、その訳書が出るや否や、波多野精一先生はそれに子細に目を通しながら、約一ヶ月の間、殆んど毎日、時には一日に二通も、いつも重い封書で、いろいろと教示、鞭撻《べんたつ》、賞賛の言葉を訳者に寄せられた。私は先生が学問に対して持たれる真摯と情熱とに触れて大いに感激した。私は、取敢へず、旧訳書に補正を十頁ほどつけたが、「詩学」の解釈には必読すべきものと先生から教へられたウィラモウィツの「ギリシャ悲劇序論」や、そしてまた、当時私が持つてゐなかつたが其後手に入れたベルナイスやマルゴリウスの書にも十分に目を届かせて、旧訳書を改めたいと念じながらも、他事に紛れて遂に二十数年を送つて了つた。その間、なんとなく、自分のなすべき責務を怠つてゐるやうな思ひが無いわけではなかつた。しかし、ギリシャ語だけはキープしようと「オデュセイア」の邦訳をしたりして道草を食つてゐた。けれども、ウィラモウィツとかベルナイスを落ついて精読することは、どうしても他の仕事の忙しさに妨げられて来た。しかし、終戦後漸くそれらをゆつくり見る機会を与へられ、多年の宿願の補修をなすことが出来た。新しいこの訳書に於いては、「アリストテレス詩学」に関する、私の知る限りに於いて、世界の主もなる研究書に見出される、重要な諸解釈、本文の読方の諸家の異同も主もな点を漏れなく、一々原書に触れて記録することが出来た。このやうな少々うるさい記録は、文庫版としては少々重も苦しくて荷が勝ち過ぎるとは思ふが、外国書の入らない今日、さう不必要なことでもあるまいと信じて敢てそれらを本訳書に載せた。だから、小冊ながら本書には「詩学」に関して知るべき殆んど一切の知識が盛られてゐる。言ふまでもなく私の本訳書のねらひ所は、只、正確な訳出と右のやうな記録とに存することを附記して置く。

 

 

【編注】

旧字体新字体の変換のほか、常用+人名用の範囲に含まれない漢字等を、以下のように変換またはルビ振りした:

・賞讃→賞賛
・洩れ→漏れ
・逍〻→少々