Nothing New...?

1999年か2000年か、それくらいに書いたエントリ。


いいかげんRPGを作るひとたちも同じところを徹底的に掘り返して深く深くって作業に飽きてこないのかなー、てことに関してはParanoiaの紹介ページ(“Paranoia礼賛”)で書いたのですけど、そいではヨーロピアンなボードゲームのほうはどうかというと、どうもこちらの方でも「そろそろ飽きてきちゃったかなー」という感じの空気が流れてきつつあるようです。単体のゲームに関するレビューとか見ても、いちいち"nothing new, but..."とか書かれていたり。この種のボードゲームではむしろsomething newなゲームなんて昔も今もほとんど無くて、で別にそれは悪い事じゃなかったはずなんですけども。Modern Art も Catan も El Grande も、どれも文句の付けようがない名作ですが三つとも言ってしまえば"nothing new"でしょう( El Grande はそうでもないかな?)。

別にゲームの質とか状況が悪くなったわけでもないのに最近のレビュー記事に"nothing new"って言葉があふれているってのは、詰まるところ皆様something newを欲しがっているからだよと。なんでそんなものを急に欲しがりだしたかということになると、たぶんMayfair Games社やRio Grande Games社によって、90年代の欧州ボードゲームアメリカに紹介するって流れがここ数年あって、それが行き通るところにはおおよそ浸透したんで「ネークスト!」ということなのではないかと(規模はずっと小さいながら日本でもメビウス・ゲームズがほぼ同じ役割を担っていますね)。どちらかというとドイツよりはその周りの国でそういう空気が流れているんじゃないか、というのはドイツのゲーム・オブ・ザ・イヤーとか見ても99年Tikal、00年 Torresですから(ただ00年秋のDer Herr der Ringeの異常に高かった前評判を見ると、ドイツでも潜在的/無意識的にはあるのかな、とは思います)。

ともかく。そういう状況で新しさを感じさせるようなゲームが出ると熱狂で迎えられるのは自然の摂理というもので、ここでは99年秋発表の"VINCI"がそれに当てはまります。ヨーロッパの地図をボードにして、周りの国を侵略することにより自軍の勢力拡大をはかるという、アメリカのマルチプレイヤーズゲームでよく見られるテーマのゲームで、こういうテーマを欧州ボードゲーム的な手法で処理したということで高く評価されたようです。

ただ個人的にはVINCIってちょっとどうかなー、と思うところもありまして。というのは私は、アメリカ系デザイン手法の最も優れた特徴は「世界を描く力の強さ」だと考えてまして、これはシミュレーションゲームRPG(の世間一般における評価基準)を見ればある程度納得していただけると思うんですが、 VINCIにはヨーロッパにおける諸民族の争いの歴史を描く気が全くない。これは侵略周りのシステムがゲーム的な洗練(プレイアビリティを第一に、ジレンマの深さを第二に置き、それ以外の要素を切り捨てる)を指向した欧州的なものだというだけの原因ではなくて、ヨーロッパと諸民族の興亡というテーマを、これもアメリカ系デザイン手法のメインストリームである「シンプルなルール+無茶な特殊効果のインフレーション」がぶち壊しているということが大きいのです。ふつう特殊効果はキャラクタを立たせるために持ち出すことが多いのに対して、(VINCIにsomething newが本当にあるとすればここだけだと思うんですけど)VINCIでは一民族あたり二つの特殊効果をランダムに割り当てるという方法で、特殊効果を使って民族を匿名的に表すということをやっています。

世界を描くということに関して、通常と逆ベクトルに特殊効果を用いるとどうなるかというと、もちろん世界の足腰が立たなくなります。わけのわからない特性をもつわけのわからない民族が襲い来てはいつの間にか去っていく。「ジャンル:馬鹿ゲー」です。遊んでみると、この自分が何をやっているのか解らない狂騒と欧州的なシステムとの組み合わせがとても良好でたいへん楽しめるのですが、いくら楽しくてもこのゲームを「アメリカ+ヨーロッパ」なボードゲームの夜明けと見るのは無しでしょう。基本的に欧州系の範囲で処理できるゲームあるいはアメリカ系のパロディと見るべきで、特殊能力群を(プレイアビリティ面から見れば明らかな退化であるにも関わらず)あえて採用しているのは単に騒ぎの演出でしかありません。むろんこのゲーム自体はそれで成功している以上なんの問題もないんですけど。

あるいは新しいものがほしい人々も、“本当に”新しくなければいけないというわけではなく、VINCIに含まれている程度のsomething newがあればそれで構わないということなのかもしれません。じっさいBohnanza, Mamma Mia, Verraeterあたりは、明らかに欧州系のシステムながらある種の新しい仕掛けを用いているゲームですが、どれもきちんとした評価を受けているわけですし。ただそれでは、00年秋もLift OffとかKeytownとか立派にsomething newを持っているゲームが出ているにも関わらず、「もうドイツから新しいゲームは出てこないのかもしれない」というような結構な悲壮感がゲームマニアとかデザイナーとかの間に漂っていることの根拠にはなりません。やはり求められているのは、RPGTCGが出てきたとき、あるいはアメリカが欧州系ゲームを「発見」した時と同じ種類の新しさなのでしょう。そうでなければVINCIに皆してこれほど大きな夢を見ることなどあり得ないのですから。

にしても消費が早すぎるよなー。なんかの病気じゃないのか? こっちはまだ最初の一口にやっとありついたとこなのに。

(といいつつ、“Paranoia礼賛”でも少し書いたけど、本当は僕も「欧州系とウォーシミュレーションを合わせても、それが本当に上手くいっちゃったら新しいものになるというより境目がわからなくなって単なる名作扱いになるんじゃないかなー。やっぱり次に来るのはルールゲーム化したRPGでしょー」とか妄想してて同じ穴の狢だったりします)