アリストテレス『詩学』第二十一章(松浦嘉一訳) ※書きかけ

■■ 第二十一章 ■■

 

 名詞(広義に於ける)には二種ある。gē(earth)の如く、意味なき分子から成立つ単純なるもの、もしくは、二個の部分から成る合成語である。後者の場合に於いては、名詞は一つの意味ある部分と、一つの意味なき部分(但し、合成語になつて了えばこの区別は消滅する)とから、もしくは、二つの意味ある部分から成立つ。合成名詞はまた、三箇、四箇、もしくは、より以上の部分からも成り得る。'Hermocaïcoxanthus'のやうな、吾吾の大袈裟な名詞の大部分がそれである。
 名詞は、その構造の如何に拘らず、常に、普通語、外来語、隠喩(メタフォラ)、修飾語、新語、延びた語、縮まつた語、変形した語の何れかでなければならない。普通語とはある一国で、一般に用ひられる語を言ふ。外来語とは、他の土地で用ひられる語を言ふ。それ故、同じ語であつて外来語であると同時に、普通語であり得ることは明白である(但し、それは、同一の国民に関して言ふのではない)。例へば、sigunos(槍)はキュプロス人にとつては普通語、吾吾〔アテーナイ人〕にとつては外来語である。隠喩とは、事物に、他の何物かに属する名を与へることである。かやうに名を移すことは、或は、類から種へ、或は種から類へ、或は、種から種へ、或は比論(アナロゴン)に拠つてである。類から種への隠喩の一例は「此処に私の船が立つてゐる」*2に見出されよう。何とならば、停泊するといふことは、ある特殊なものの立つてゐるといふことであるから。種から類への隠喩は「オデュセウスは、げに、一万の善行をなした」に見出されよう。ここの「一万」(それはある特殊な多数である)は、類の「多数」といふ文字の代りに用ひられてある。種から種への隠喩は隠喩は「あかがねで命を汲み取りながら」*4〔即ち、あかがねの小刀で切つて生血を放ちながら〕並びに、「不滅のあかがねで切取ながら」*4〔即ち、あかがねの甕《かめ》で水を汲み取りながら〕に見出されよう。これらの例に於いて、詩人は「汲み取る」を「切取る」の意味に用ひ、「切取る」を「汲み取る」の意味に用ひる。両語共にあるものを「取り去る」を意味するからである。比論(アナロゴン)に拠る隠喩(メタフォラ)は、甲乙丙丁の四箇の名辞が乙が甲に対するそれの如く、丁が丙に対してゐる如き関係にある、如何なる場合にも可能である。何とならば、かやうな場合、隠喩的に乙の代りに丁を、丁の代りに乙を置き得るであらう。また、詩人は時時、隠喩と置き換へられる語に関係あるものを、隠喩に附加して隠喩を修飾する。例へば、杯〔乙〕がディオニュソス〔甲〕に対する関係は、楯〔丁〕がアレー(軍神)〔丙〕に対する関係に等しいから、杯は「ディオニュソスの盾」〔丁+甲》〕と、また、盾は「アレーの杯」〔乙+丙〕と、隠喩的に描かれよう。今一例を引けば老〔丁〕が生〔丙〕に対する関係は、夕〔乙〕が日〔甲〕に対する関係に等しいから、詩人は、「日の老い果て」〔丁+甲〕亜(もしくは、かのエムペドクレス流に)、さうして老を「生の夕(もしくは、日没)」〔乙+丙〕と描くであらう。また、かやうな類似関係にある一方が、それ自身の特殊の名を持たないことがあり得る。然し、この場合といへども、前と同様に、隠喩的に描かれるであらう。例へば、趣旨を投げ散らすことは「蒔く」と言はれるが、太陽の場合のやうに、その焰を投げ散らすことは、其特殊の名を持たない。けれども、この特殊の名を持たない行為〔乙〕は、太陽〔甲〕に対して丁度「蒔く」〔丁〕といふ行為が、種子〔丙〕に対して持つと、同じ関係にある。それ故、詩人は「神が作つた焰を蒔きながら」〔丁+甲〕と言ふのである。尚、また、他の様式の修飾された隠喩がある。それは事物を、他の事物に属する名で呼びながら、この新しい名に固有なる属性の一つを否定するのである。盾を「アレー(軍神)の杯」とではなく「酒を盛らざる杯」と呼ぶ如きは、その一例であらう。****5。新語とは何人にも全然未知の語で、詩人自身の作つたものを言ふ。例へば(実際かやうな起源を持つらしい語があるのである)角《つの》〔普通語kerata, pl.〕を意味するernuges〔cf. ernos, young, sprout〕並びに僧〔普通語ではhiereus〕を意味するatētēr〔本来は祈る人を意味する〕がそれである。延びた語とは、ある語の一母音が、その持前の音よりもより長く発音され、もしくは余計な一音節が加へられる場合を言ふ。例へば、polěōsをpolēǒsもしくはPēieidouをPēlēidaeōと言ふ場合がそれである。縮まつた語とは、ある語が、それ自身の一部分を失ふ場合を言ふ。例へば、kri〔=krithē〕dō〔=dōma〕並びに 'Mia ginetai amphoterōn ops'*6 に於けるops〔=opsis〕がそれである。変形した語とは、ある語が、その一部分を元のままに残し、一部分が、詩人に依つて作られた場合を言ふ。例えば 'dexiteron kata mazon' *7に於けるdexiteron(=dexion)がそれである。
 名詞自身は〔それが、普通語、隠喩、その他、如何なる種類に属すとも〕男性女性、もしくは、中性に分けられる。Ν、Ρ、Σ、もしくは、この最後のものとの合成音ご(ΨとΞの二つ)終る所のすべてのものは男性で或。常に長き母音ΗとΩ、もしくは、長く延び得る母音の中のΑに終るすべてのものは女性である。それ故、男性と女性とを作る語尾は同数である。ΨとΞはΣと同じもので、数えなくともいいからである。然しながら、黙音、もしくは、短き母音〔ΕもしくはΟ〕に終る如き名詞はない。只三箇の名詞(meli, kommi, peperi)がΙに終り、五箇の名詞がΥに終る。中性は之等の長く延び得る母音並びにΝ、Ρ、Σに終る。

 

■訳者解説

 

■諸家の読方の比較

 

■訳注

 

■編注

 

旧字体新字体の変換のほか、常用+人名用の範囲に含まれない漢字等を、以下のように変換またはルビ振りした:

碇泊→停泊
甕:ルビ
雖も→いへども
僧→僧

※角《つの》は元の訳文のルビ。