アリストテレス『詩学』第三章(松浦嘉一訳)

■■ 第三章 ■■


 これらの芸術に於ける第三の差別は、対象の各々が模倣される形式から生れる。模倣の同じ媒材と同じ対象とが与へられても、詩人はある時は叙述体に、ある時は、その人物になり切つて物語ることが出来る。ホメロスの如きはそれである。或は詩人は態度を一貫して、変へないでゐることも可能である。或は模倣者達〔俳優〕は全物語を戯曲的に、あだかも、彼等がそこに描かれたることを実行してゐるかの如く、模倣することも出来る。それ故吾吾が巻頭に於いて述べた如く、これらの芸術の模倣は、三通りに区別される。即ち、如何なる素材で、さうして、如何なる対象を、さうして、如何なる形式に依つて模倣されるかの三通りである。
 されば、模倣者として、ソフォクレスは、一面に於いて、ホメロスと共通する。それは、彼等二人共より善き人物を描くからである。また、同じソフォクレスは、他の一面に於いてアリストファネスと共通する。それは彼等二人共、描く所の人物を〔舞台に立たせ〕彼等が実際に行為し動作してゐる如く、模倣するからである。ここに戯曲がdramaと呼ばれる所以があると、ある人は言ふ。何とならば、dramaに於いては、人物画物語をdran(実行)するからである。この故にまたドリア陣はトラゴーディア、喜劇共に、彼等の創見であると主張してゐる。希臘《ギリシャ》本土の*1メガラ人は、メガラが民主政体になつた当時に、喜劇が彼等から興つたと主張し、シシリイ島に於けるメガラ人は詩人*2エピカルモスは彼等から生れ、*3キオニデスやマグネスから、ずつと古いと言ふ理由で同様な主張をしてゐる。またペロポネソスのドリア陣のある者は、トラゴーディアさへも、彼等から興つたと主張するのである。彼等はみなkōmōidia(喜劇)やdrama(戯曲)といふ名を楯にとつて主張する。彼等に言はすれば、市外の村落は、彼等の言葉にてはkōmaiと言ふに反して、アテーナイの人人は、それをdēmoiと言ふ。さうしてkōmōidos(喜劇役者)といふ文字はkōmazein(飲み騒ぐ)から来たのでなくして、喜劇役者が、未だ、世人の賞玩を得ずして、都市から追ひ払われた結果、村落から村落へと(kata kōmas)旅廻りをしてゐたことから、因つて生じたものだと仮定する。また、*4彼等は曰《いは》く、アテーナイの人人は「行動する」という意味に対しpratteinと言ふに反して、彼等はdranと言ふと。
 芸術の模倣が幾通りのさうして、如何なる見地から差別され得るかに就いては、以上述べた通りである。

 

■訳者解説

 アリストテレスは第一章に於いて模倣の媒材を述べ、第二章に於いては模倣の対象を述べ、本章に来て模倣の形式を説くのである。但し、本章に述べられたる模倣の形式の分類は殆んど、プラトンが「国家論」三九二~三九四に於いて為せる分類そのままで、その用語までもプラトンの影響を受けてゐるのである。然しながら、詩の形式を、論理的順序に於いて考へてゐる。即ち第一に、単なる叙述的、第二に、戯曲的、第三に、ある時は叙述的、ある時は戯曲的の混成形式である。さうして、第一の例としてディツラムボスを、第二の例として悲劇喜劇を第三の例として叙事詩を挙げてゐる。然るにアリストテレスの順序は歴史的であつて、論理から割出された順序でなく、事実から割出された順序なのである。此處にも、両者の学問の立場の相違が窺はれる(バイウォータア註)。


■訳注

*1 メガラは六〇〇年頃暴君テアゲネスを放逐した(同上)。

*2 「エピカルモス」 「詩学」第五章に於いて、彼とフォルミスとは、個人の私行誹謗より脱したる新しき喜劇の先駆者であると書かれてゐる。プラトンは、既に「テアイテトス」一五二に於いて、ホメロスを悲劇の王、エピカルモスを喜劇の王と呼ぶ程に、彼を喜劇の泰斗として認めてゐる。

*3 「キオニデスやマグネス」 Suidas《スイダス》(十世紀)は前者を、四八七年頃に喜劇詩人として現はれたと誌し、後者をエピカルモスより遥かに年若かであると誌してゐると(バイウォータア註)。

*4 此處の議論は、行為を模倣する戯曲が、もしも、アテーナイから発生したならばdramaと呼ばれるよりも、寧ろ、pragma(pratteinの名詞)と呼ばれた出あらうといふ議論である(同上)。


■諸家の読方の比較

一四四八A二一 従来リッタアやファーレン其他に依つて支持された伝統的読方は‘…mimeisthai estin hote men apaggellonta ― ē heteron ti gignomenon hōsper Homēros poiei, ē hōs ton auton kai mē metaballonta ― ē pantas hōs prattontas kai engrountas tous mimoumenous.’である。ブチァはこの伝統的読方を採用し(但し tous mimoumenousを削除してゐる)次のやうに訳してゐる。“…the poet may imitate by narration ― in which case he can either take another personality as Homer does, or speak in his own person, unchanged ― or he may present all his characters as living and moving before us.”ステッヒ及びグーデマンはブチァと同じ意味に訳してゐる。バイウォータアの読方は‘…mimeisthai estin 〈ē〉(1) hote men apaggellonta [ē] 〈[#斜体]hote de〉(2) heeron ti gignomenon hōsper Homēros poiei, ē hōs ton anton kai mē metaballonta, ē panta(3) hōs prattontas kai energountas tous mimoumenous.’((1) Zeller, (2) Reiz. (3) Casaubon. pantas Ac)である。バイウォータアが上記の伝統的読方を排斥する理由は、其れがプラトンが「国家論」に於いて同問題に関して述べてゐる綱要からあまりに遠く外れてゐること、並びに其れが hote men なる字句の存在を無視してゐること等にある。プラトンは「国家論」三九二~四に於いて、描写を三通りに分類し、第一は単なる叙述、即ち全篇を通じて詩人の口から物語られる場合、第二は、模倣的、即ち戯曲的叙述で、此場合、詩人は、言はば自己を滅し、全然篇中の人物の口を通して物語る、第三は、ホメロスに於ける如く、ある個所は叙述的に即ち間接話法で、ある個所は戯曲的に即ち直接話法で物語る混成様式である(本書註釈一四八頁以下参照)。マルゴリウスは「詩学」六章に於いて、「トラゴーディアは叙述体でなく、俳優がそこに描かれたものを実行する形式に描かれる」と言はれてゐる文句を楯にとつて、アリストテレスプラトンとは異り、描写の二様式のみを、即ち叙述体と戯曲体だけを認めてゐると主張し、直接話法と間接話法との差の問題は重要なる問題でないと考へてゐる。そして、tous mimoumenousを削除しないで、他はブチァと同じ意味に訳してゐる。

 

■編注

旧字体新字体の変換のほか、常用+人名用の範囲に含まれない漢字等を、以下のように変換した:
・各〻→各々
・玆に→ここに
・希臘:(ルビ振り)
・曰く:(ルビ振り)